こっちゃん 卒乳 ~母乳育児を終えて~
2011年 02月 23日
2月12日の朝ごはんの後、飲んで、13日は、飲まなくって、14日の朝方、ベッドの中で飲んで二度寝して。
ゆっくり落としてきた授乳ペース。こちらにきてから、こっちゃんのペースで二日に1回になったなぁと思っていたら。。。
こっちゃん、自ら静かに卒乳しました。
毎日、サロンでもらったアルバムを広げて、友達をみつけて、なんとなく友達の名前を呼んでる風。
最近会ってないなって思ってるのかな?
*********************
母乳育児。
最初、母乳育児が軌道に乗るまでに試練がいくつかあって。
それを乗り越えて、軌道にのったら、楽になって。
5ヶ月位まで、3-4時間に1回ペースであげていた母乳。
あるときから、おなかがすいたーってサインを待ってあげるように意識したときから、
自動的にあげていた母乳の回数が変化していきました。
母乳育児は、他の人とは、比べることのできない、自分と我が子の世界。
みんな違うから、とにかくこっちゃんとの対話、コミュニケーションを通して、母乳育児の進め方を考えながら、毎日過ごしていました。
いつからか、回数が減ってきて、そうだなー少しずつ離乳食を食べられるようになってきた頃、10ヶ月、11ヶ月頃には、食事の回数分+寝る前か、夜中の1回=4回になっていて。
あぁ、回数が減って、こっちゃんが鼻水で飲むのがうまくいかなかった時、乳腺炎にもなったんだったっけ。
そこから、お昼ご飯の後は、飲まないでお昼寝するようになって、おやつ的に飲んでいたときもあったけど、その1回を捕食としてのおやつを与えるようにして、3回に。
それくらいから、寝る前のおっぱいなしで寝れるなら、そうやって寝かしつけるようになり、こっちゃん、自らも「ねんね」っていって、添い乳なしで寝ていたり。でも、夜中に12時位に起きて飲むようになり、まだ、食事でお腹を満たせていなかったこっちゃんが空腹でおきるのは、かわいそうだなって思って、寝室に入る前にリビングで寝る前のホットミルクの感覚であげて、
そして、ねんね。
そのうち、朝までぐっすり眠るようになり、寝付いてからの授乳は、なくなり、
朝と寝る前の2回に減ったんだよな~
1歳になったとたん、ほんとに食べることに興味をもって、しっかり食べるようになり、
サロンに持っていくお弁当も少しずつ、お弁当らしくなっていって、
いつの間にか、寝る前のおっぱいがなくても、お腹が減らないで、おっぱいをほしがることなく、朝まで眠るようになり、授乳回数 朝の1回までになっていました。
それが、1歳1ヶ月位かな~
ほんとうに着実に食べられる量は、増えていたけれど、食べられる種類が増えなかったので、栄養面の偏りが気になったしで、まだ、母乳での栄養補給も必要ねって思っていたのが、1歳2ヶ月頃。
大豆唐揚げや野菜スープなど、目で見て、自分の手で口に運べるようになった1歳3ヶ月になった頃、イロイロな食材を、イロイロな食感も食べられるようになって、
足取りもちょっとずつしっかりしてきて♪
突然の引越しに、精神安定剤的にも必要なのかなおっぱいは と、思っていた私。
さらに、授乳が1日1回から1~2日に1回に減っていたものの、引越し時期は、こっちゃんの安定のために私が決めて離すのは、やめようと思っていました。
引越し前は、ちょっと行動にも不安定な面が見られ、すぐ泣いて騒ぐし、友達に手をあげようとするしで。そういう発達の時期ともかさなったような気もするけれど。。。。
でも、引越しをして、部屋に物が入ったその朝から、こっちゃんは、以前の落ち着きを取り戻し、
ご機嫌で過ごせるようになっていました。
引越し後は、大丈夫だったの。
不思議だけど。
そして、再び、こっちゃんに野菜たっぷりご飯を作り始めたら、「ウマイうまい」ってもりもり食べてくれて、すっかりおっぱいなんて、忘れちゃったみたい。
そして、さらにこの1週間で、今まで見向きもしなかった食材、ミニトマトや、みかん!はっさく!も自らの手で食べ、ドライブルーベリーも以前なら、プイって顔を背けていたのに、パクパク食べて、3食スプーンでご飯をもりもりと食べ、うまいうまいって。
今日は、おでんの大根も厚揚げ、白滝もお替りして、しっかり食べられるようになっていました。
豆乳もコップで飲んで、食事から栄養を摂れるようになっていることに確信が持てた私は、卒乳は、こっちゃんがその時期にきたから、自然に起こったことだと、自分の気持ちも自然にそのことを受け止めて、
今日、KOちゃんにこっちゃんは、卒乳したよ~って報告しました。
母乳育児の最後の試練は、
子どもにとっての辛い別れ、母親にとっても大変な試練 と、想像していました。
だから、子どもに辛い気持ちで、泣き叫ぶような、辛い断乳のような別れ方は、させたくないと母乳育児をしていくうちにあるときから思い始めていました。
それから、精神安定剤、母娘のコミュニケーションといいながら、おっぱいを求めて情緒不安定になったり、母にとって、授乳が負担や苦になるようなことにもなりたくないなーというのもかんがえていました。
だから、こっちゃんには、ゆっくり離れていけるように、
こっちゃんが最後に止めるときに、大きな負荷がかからないように
親が夜中中、何日もあやすといった断乳の負担が大きすぎないように
これは、私の考え、思いとこっちゃんとのコミュニケーションの中で、ゆっくりペースを落としていきました。
段差の激しい階段を大変な思いをして、のぼっていくより、
小刻みステップのように、段数は多いけれど、いつの間にか上っていた みたいなほうを
選んできました。
子育てをして、イロイロな面でそういう選択、考えを持つ自分がいることを再発見。
おむつも然り。
急に、「今日から、おむつじゃなくて、パンツです。濡れたら気持ち悪いから、出る前にトイレっていいなさいね!」と言って、ものすごい不快感&不安を一気に与えて、どうしたらいいかわからない不安な気持ちにさせられる子どもは、かわいそうだなって 想像。
だって、大人の都合で紙おむつの中でするのが排泄って教えられたのに、2年たって、急に変えられたって、すぐにできるわけないじゃん!
でも、ある人は、1週間お互い必死に鬼のようにがんばって、1週間で外したよ!っていうけど、
その1週間って壮絶・・・・・・
子どもへの負担も 親の負担も大きい
赤ちゃんが、「オムツの外で排泄をしたいという本能」を持っているなら、その本能を殺さないで、
排泄したい気持ちを汲めるならくみたい。サインをキャッチしたい。
睡眠、食事、排泄、全部同じレベルで考えたい。
そういう思いから、こっちゃんとの排泄コミュニケーション(EC・別名:おむつなし育児)は、始まり、
1歳3ヶ月の今は、
眠くなったら、「ねんね」と言い、
お腹が空いたら「マンマ」と言い、
排泄したくなったら「デタ」と言う。
どれも、未熟な母は、すぐには、満たしてあげられないけれど、母も少しずつ、上手になってるし、
こっちゃんの生態がわかってきたから、
眠くなるタイミングを計って、予定を組むこともできるようになり、
お腹が空くタイミングを計って、食事を用意したり、食べ物を持ち歩いたりと知恵もつき、
排泄のタイミングを計って、外出前にウンチやおしっこを促したりもできるようになった。
ベッドの上で、私の手を握りながら、眠れるようになり、
自分で、スプーンで食べられるようになり、
おまるでしていた排泄がトイレでもできるようになり。
私がこっちゃんのサインをキャッチしてきたことで、こっちゃんもイロイロなサインを言葉や行動で、伝えてくれるようになってきた。
こっちゃんとの生活は、このサインのキャッチボール。
キャッチボールは、きっと、どんどん上手くなるだろうけど、
変化球投げられたりして、上手くキャッチできなかったり、エラーしたりと
道のりは、イロイロだろうけど、
キャッチボールをしたいという気持ちをもっていれば、
どんな道のりも超えられる。
1年3ヶ月。
こっちゃんとのコミュニケーションを通して、イロイロなことがわかったし、成果として見える今のこっちゃんの姿。
よくも悪くも私の鏡です。
「卒乳は、寂しくない? 」 という 質問。
心の準備も体の準備もゆっくり進めたので、ほんとうに、不思議な位、なんの違和感も感情なく、
ただ事実が起きたという感じなんです。
特別な達成感もないし、ほんとうに普通。
私もこっちゃんも負担がゼロだった卒乳でした。
そういえば、
学生の頃から、一夜漬けができない人でした。
準備していかないと不安な人。
マラソン大会の2週間前から、夜、練習で母に付き合ってもらって走ったり。
ゴールに向かって、着実に準備したい人でした。
そういうとこ、変わってないんだな。
あぁ、友人に言われた「マメ」さって、こういうの?
あぁ、私ってマメな人だったのか~
<こっちゃん1歳3ヶ月>
ゆっくり落としてきた授乳ペース。こちらにきてから、こっちゃんのペースで二日に1回になったなぁと思っていたら。。。
こっちゃん、自ら静かに卒乳しました。
毎日、サロンでもらったアルバムを広げて、友達をみつけて、なんとなく友達の名前を呼んでる風。
最近会ってないなって思ってるのかな?
*********************
母乳育児。
最初、母乳育児が軌道に乗るまでに試練がいくつかあって。
それを乗り越えて、軌道にのったら、楽になって。
5ヶ月位まで、3-4時間に1回ペースであげていた母乳。
あるときから、おなかがすいたーってサインを待ってあげるように意識したときから、
自動的にあげていた母乳の回数が変化していきました。
母乳育児は、他の人とは、比べることのできない、自分と我が子の世界。
みんな違うから、とにかくこっちゃんとの対話、コミュニケーションを通して、母乳育児の進め方を考えながら、毎日過ごしていました。
いつからか、回数が減ってきて、そうだなー少しずつ離乳食を食べられるようになってきた頃、10ヶ月、11ヶ月頃には、食事の回数分+寝る前か、夜中の1回=4回になっていて。
あぁ、回数が減って、こっちゃんが鼻水で飲むのがうまくいかなかった時、乳腺炎にもなったんだったっけ。
そこから、お昼ご飯の後は、飲まないでお昼寝するようになって、おやつ的に飲んでいたときもあったけど、その1回を捕食としてのおやつを与えるようにして、3回に。
それくらいから、寝る前のおっぱいなしで寝れるなら、そうやって寝かしつけるようになり、こっちゃん、自らも「ねんね」っていって、添い乳なしで寝ていたり。でも、夜中に12時位に起きて飲むようになり、まだ、食事でお腹を満たせていなかったこっちゃんが空腹でおきるのは、かわいそうだなって思って、寝室に入る前にリビングで寝る前のホットミルクの感覚であげて、
そして、ねんね。
そのうち、朝までぐっすり眠るようになり、寝付いてからの授乳は、なくなり、
朝と寝る前の2回に減ったんだよな~
1歳になったとたん、ほんとに食べることに興味をもって、しっかり食べるようになり、
サロンに持っていくお弁当も少しずつ、お弁当らしくなっていって、
いつの間にか、寝る前のおっぱいがなくても、お腹が減らないで、おっぱいをほしがることなく、朝まで眠るようになり、授乳回数 朝の1回までになっていました。
それが、1歳1ヶ月位かな~
ほんとうに着実に食べられる量は、増えていたけれど、食べられる種類が増えなかったので、栄養面の偏りが気になったしで、まだ、母乳での栄養補給も必要ねって思っていたのが、1歳2ヶ月頃。
大豆唐揚げや野菜スープなど、目で見て、自分の手で口に運べるようになった1歳3ヶ月になった頃、イロイロな食材を、イロイロな食感も食べられるようになって、
足取りもちょっとずつしっかりしてきて♪
突然の引越しに、精神安定剤的にも必要なのかなおっぱいは と、思っていた私。
さらに、授乳が1日1回から1~2日に1回に減っていたものの、引越し時期は、こっちゃんの安定のために私が決めて離すのは、やめようと思っていました。
引越し前は、ちょっと行動にも不安定な面が見られ、すぐ泣いて騒ぐし、友達に手をあげようとするしで。そういう発達の時期ともかさなったような気もするけれど。。。。
でも、引越しをして、部屋に物が入ったその朝から、こっちゃんは、以前の落ち着きを取り戻し、
ご機嫌で過ごせるようになっていました。
引越し後は、大丈夫だったの。
不思議だけど。
そして、再び、こっちゃんに野菜たっぷりご飯を作り始めたら、「ウマイうまい」ってもりもり食べてくれて、すっかりおっぱいなんて、忘れちゃったみたい。
そして、さらにこの1週間で、今まで見向きもしなかった食材、ミニトマトや、みかん!はっさく!も自らの手で食べ、ドライブルーベリーも以前なら、プイって顔を背けていたのに、パクパク食べて、3食スプーンでご飯をもりもりと食べ、うまいうまいって。
今日は、おでんの大根も厚揚げ、白滝もお替りして、しっかり食べられるようになっていました。
豆乳もコップで飲んで、食事から栄養を摂れるようになっていることに確信が持てた私は、卒乳は、こっちゃんがその時期にきたから、自然に起こったことだと、自分の気持ちも自然にそのことを受け止めて、
今日、KOちゃんにこっちゃんは、卒乳したよ~って報告しました。
母乳育児の最後の試練は、
子どもにとっての辛い別れ、母親にとっても大変な試練 と、想像していました。
だから、子どもに辛い気持ちで、泣き叫ぶような、辛い断乳のような別れ方は、させたくないと母乳育児をしていくうちにあるときから思い始めていました。
それから、精神安定剤、母娘のコミュニケーションといいながら、おっぱいを求めて情緒不安定になったり、母にとって、授乳が負担や苦になるようなことにもなりたくないなーというのもかんがえていました。
だから、こっちゃんには、ゆっくり離れていけるように、
こっちゃんが最後に止めるときに、大きな負荷がかからないように
親が夜中中、何日もあやすといった断乳の負担が大きすぎないように
これは、私の考え、思いとこっちゃんとのコミュニケーションの中で、ゆっくりペースを落としていきました。
段差の激しい階段を大変な思いをして、のぼっていくより、
小刻みステップのように、段数は多いけれど、いつの間にか上っていた みたいなほうを
選んできました。
子育てをして、イロイロな面でそういう選択、考えを持つ自分がいることを再発見。
おむつも然り。
急に、「今日から、おむつじゃなくて、パンツです。濡れたら気持ち悪いから、出る前にトイレっていいなさいね!」と言って、ものすごい不快感&不安を一気に与えて、どうしたらいいかわからない不安な気持ちにさせられる子どもは、かわいそうだなって 想像。
だって、大人の都合で紙おむつの中でするのが排泄って教えられたのに、2年たって、急に変えられたって、すぐにできるわけないじゃん!
でも、ある人は、1週間お互い必死に鬼のようにがんばって、1週間で外したよ!っていうけど、
その1週間って壮絶・・・・・・
子どもへの負担も 親の負担も大きい
赤ちゃんが、「オムツの外で排泄をしたいという本能」を持っているなら、その本能を殺さないで、
排泄したい気持ちを汲めるならくみたい。サインをキャッチしたい。
睡眠、食事、排泄、全部同じレベルで考えたい。
そういう思いから、こっちゃんとの排泄コミュニケーション(EC・別名:おむつなし育児)は、始まり、
1歳3ヶ月の今は、
眠くなったら、「ねんね」と言い、
お腹が空いたら「マンマ」と言い、
排泄したくなったら「デタ」と言う。
どれも、未熟な母は、すぐには、満たしてあげられないけれど、母も少しずつ、上手になってるし、
こっちゃんの生態がわかってきたから、
眠くなるタイミングを計って、予定を組むこともできるようになり、
お腹が空くタイミングを計って、食事を用意したり、食べ物を持ち歩いたりと知恵もつき、
排泄のタイミングを計って、外出前にウンチやおしっこを促したりもできるようになった。
ベッドの上で、私の手を握りながら、眠れるようになり、
自分で、スプーンで食べられるようになり、
おまるでしていた排泄がトイレでもできるようになり。
私がこっちゃんのサインをキャッチしてきたことで、こっちゃんもイロイロなサインを言葉や行動で、伝えてくれるようになってきた。
こっちゃんとの生活は、このサインのキャッチボール。
キャッチボールは、きっと、どんどん上手くなるだろうけど、
変化球投げられたりして、上手くキャッチできなかったり、エラーしたりと
道のりは、イロイロだろうけど、
キャッチボールをしたいという気持ちをもっていれば、
どんな道のりも超えられる。
1年3ヶ月。
こっちゃんとのコミュニケーションを通して、イロイロなことがわかったし、成果として見える今のこっちゃんの姿。
よくも悪くも私の鏡です。
「卒乳は、寂しくない? 」 という 質問。
心の準備も体の準備もゆっくり進めたので、ほんとうに、不思議な位、なんの違和感も感情なく、
ただ事実が起きたという感じなんです。
特別な達成感もないし、ほんとうに普通。
私もこっちゃんも負担がゼロだった卒乳でした。
そういえば、
学生の頃から、一夜漬けができない人でした。
準備していかないと不安な人。
マラソン大会の2週間前から、夜、練習で母に付き合ってもらって走ったり。
ゴールに向かって、着実に準備したい人でした。
そういうとこ、変わってないんだな。
あぁ、友人に言われた「マメ」さって、こういうの?
あぁ、私ってマメな人だったのか~
<こっちゃん1歳3ヶ月>
by ichijiku-chan | 2011-02-23 01:04 | 育児に関すること